今年の夏、発達障害の診断を受けた。
つまりこれまで39年のあいだ、普通の人(定型発達)として生きていたわけだけど生きづらさは普通にあった。
たとえば、自分の感情を抑えられなくなって暴言を吐いたりする。あるいは飲み会の場で、一口もお酒を飲んでいないのに失言をしてしまう。
また、忘れ物がやたら多い。車のカギを忘れたりエアコンをつけたまま外出してしまったりする。
つい先日、コインランドリーにて上下に重なった乾燥機のコイン投入口に100円を入れたら、他人が使っている乾燥機の方だった。すでに回っている最中だったので、もちろんお金は戻ってこなかった。
こんなうっかりが日常茶飯事なのだ。
そしてさらに、手先が絶望的に不器用で運動音痴ときている。
だけど、私は何故かここまでやらかしばかりの人生を送っていながら、自分がおかしいとはぜんぜん思っていなかった。
間違いやうっかりくらい誰にでもあるさ、とお気楽に構えていたのである。
これを「隠れ発達障害」というそうだ。
診断を受ければ、自分の特性に名前がつき場合によっては薬を処方してもらえる。
それを飲むことによって、たとえば集中力が向上してミスや間違いが減ったりして社会生活が楽になるかもしれない。
でも薬には当然副作用がある。その程度も人によって様々だけどひどい吐き気や食欲不振、あるいは不眠になったりする。
そして、健康を犠牲にして、ようやく「普通の人」として振舞えるようになる。
私は薬は処方してもらえなかった。軽度とみなされたのか、薬を飲んでも症状の改善は見込めないと思われたのかは分からない。
会社にも診断結果は報告していない。
私は今日も「普通の人」として、会社に行って、1日仕事をしてきた。
「普通」とは何だろう?「個性」とは何だろう?
答えは出ないと分かりきっていても、ずっとそんな考えがぐるぐるしている。